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前回話したのとは別の回のNHKスペシャル「インドの衝撃」の中で、議論する力を子供の頃から養うインドの小学校を紹介するシーンがありました。

小学校6年生のクラスで、英語のディベートの授業です。子供たちは、「学校には自転車で来るべきか、バスで来るべきか?」というテーマに関して、英語でディベートしています。クラスの圧倒的多数が「バスで来るべき」という中、ひとりの男の子が次々に浴びせられる反対意見に対して自信をもって反論します。「多様な民族、言語、宗教で構成されるインドでは、考え方の違う相手に、自分の意見を説得力を持って伝えることが、成功の条件のひとつとされている」というナレーションが入ります。

このインドの小学校の先生も、「まずは自信をもって話すことが大事だ」と指導していました。「なんでも、自分の思っていることが言えれば、自信と自立心が身につきます」というこの先生の考え方には、確かにそうだなと感じました。

ところが、私は、このデリケートな話題を、自信を持って発言することができません。
この文章も、おそる、おそる、書いています。

もし同じようなディベートが日本の小学校で行われたらどうでしょう? そもそも日本の小学校で英語でディベートというのは現実的な仮定ではないので、「日本語でディベート」として想像してみましょう。

自分以外はほぼすべて反対意見という中で、堂々と持論を展開できるでしょうか?

NHKスペシャルのインドの小学校の映像では、ひとり反対意見を述べる生徒を見つめる他の生徒たちの表情もとらえていましたが、けっして「こいつKYだな。あとでカバン隠してイジメてやろう」といった目線ではなく、真剣な議論を楽しんでいるのが伝わってくるものでした。

同じような空気が現在の日本の学校にあるでしょうか?

議論がちゃんとできないニッポンは、インドのような自由に議論できる社会に育った人々との競争に敗れ、今後衰退してしまうのではないか、そんな危機感すらおぼえました。

何より、みんなが反対している教室の中で、堂々とひとり異論を言える、「KYでいることを非難されず、認めてくれる空間」にいる、インドのひとりの小学生をうらやましく思いました。

日本に暮らす私は今、ネットの匿名性の価値を認めつつ、その刃が自分に向くことを恐れてしまっているのです。

私は二枚舌でしょうか? ~匿名の価値を認めつつ、怖いとも思ってしまいます。:NBonline(日経ビジネス オンライン) (via raurublock) (via yuco) (via plasticdreams) (via makou)

8/12/2008